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これをしも青山という大枯野 安部紀与子
人間到る處青山有り……という言葉があります。豪快な男心が言わせた言葉でしょうが、熱心に生き通せれば、どこで死んでもいいという決意でありましょう。青々と葉を繁らせていた野も山も、今は茫々と枯れ果てました。その枯野に立って、女心もまた、人間到る處青山有り……と、安心の境地に悠々と遊んでいるのでしょう。寂しいはずの風景に、大きな心が飛び交います。
描きかけの枯野を提げて枯野行く 庄中 健吉
野はすっかり枯れています。その枯野にキャンバスを立てて、冬ざれの風景を描いていたのでしょう。<さて、いささか疲れたな、今日はこの辺でやめにするか>と呟き、おもむろに絵の道具をまとめて、今まで描いていた未完成の絵を提げ、同じ枯野を通って家路につくのでしょう。淋しさの中、ほんのりと満足気な作者の顔が浮かんでくるようです。
空あをきことを支えに返り花 木内 怜子
桜、桃、山吹、つつじなどが、小春日和に時ならぬ花を咲かせる……。それが返り花でございますよね!?なんの花かは判りませんが、返り花が咲きました。<あら、可愛らしい!!>と、思わず声に出して見上げれば、花の彼方は真蒼に澄んだ空……。<この可憐な、小さな花の存在は、あの空の蒼さが支えているんだわ……>そう感じた時、作者はどんなにか嬉しかったことでしょう。<あたしの華やぎは、あなたの愛が支え……>ここまで拡大解釈すると、嫌味でございますね、ごめんなさいまし……。
枯草のしんから枯れて明るしや 多摩 茜
ものにはすべて<終り>があります。人間とて草とて同じことです。終りがあることは淋しいには違いありません。でもその淋しさ有るが故に、人も草も熱心に生きようとするのでしょう。むんむんと草いきれして、盛なる夏を生き、秋に風情を添えた草も、いまはすっかり枯れました。完全に枯れ果てました。いのちを燃やし切ってしんから枯れたのです。それを作者は<明るい>と言います。実際に、冬の陽がいっぱい当っているかもしれません。でも、それはどうでもいいこと……。枯れ果てしものに見る明るさは、作者の心に住む清々しさに通じるものでありましょう。
地を駈ける落ち葉に越され急かれおをり 伊理仁一
想うとでもなく物想いしながら、ひとり歩いています。足元に散っている落葉を風がさらって、落葉は自分より先に進みました。<もっと早く歩けないの!?>そう落葉が囁いたような気がして、いささか速度を速めました。なにかにせかされたような気分です。でも、今更、何を急ぐというのでしょうか……。こんなにも長く生きてきました。日々是好日……慌てずに、ゆっくりと生きてゆけばいいのです。
冬將軍来る枝打ちの谷こだま 馬淵 歩
寒い寒い北風……。冬将軍はどこから来るのでしょう。杉、檜などの枝打ちは、厳冬のさなかの仕事。それも男の仕事、逞しい男の仕事です。その枝を払う音が山間いの谷に谺(こだま)しています。いかにも澄んだ音です。冬将軍というくらいですもの。孤独で男っぽく、凛々しい音です。
本懐をとげし枯れざま菊人形 岬 雪夫
ああ、綺麗だね!!いやぁ、見事だねぇ!!……と言われたい……。それだけを希いとして熱心に咲き続けた菊人形の菊……。その菊人形も、いまはあの盛りの時が嘘のように枯れました。でもいいのです。菊人形は満足しているです。本懐を遂げたのです。みんなから賞讃の声を受け続けたからです。すべて、退き時を知らねばなりません。菊人形も人間とても同じことでしょう。立つ鳥でさえ、あとを濁さず……というではありませんか!?
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