枯草のしんから枯れて明るしや 多摩 茜
ものにはすべて<終り>があります。
人間とて草とて同じことです。
終りがあることは淋しいには違いありません。
でもその淋しさ有るが故に、人も草も熱心に生きようとするのでしょう。
むんむんと草いきれして、盛なる夏を生き、秋に風情を添えた草も、いまはすっかり枯れました。
完全に枯れ果てました。いのちを燃やし切ってしんから枯れたのです。
それを作者は<明るい>と言います。
実際に、冬の陽がいっぱい当っているかもしれません。
でも、それはどうでもいいこと……。
枯れ果てしものに見る明るさは、作者の心に住む清々しさに通じるものでありましょう。
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