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こがらしや花選るときは値を聞かず きくちつねこ
寒くつめたい木枯らしが吹いています。冬は色で言えば、灰色なのかもしれません。そういう季節に花屋さんで花を買います。それも殊更華やかな色を選んで買います。「その花、おいくら?」……とは聞かないのです。「それと、こっちのとを頂きます。ええ三本づつ……」淋しく陰鬱な季節くらい、気前よく、花の値段など聞かないで買うのです。そんな女心が、当マイクロフォンの胸をゆすります。
銀杏落葉してオルガンの固き椅子 中里 風郎
教会にでもいるのでしょうか。それとも、孫を送りに行った幼稚園でしょうか……。オルガンの固い椅子に腰をおろして、銀杏の葉が散ってゆくのをじっと眺めています。今日もいい天気です。不思議とさびしさはありません。<逝くものを逝くにまかせて逝かしめよ>……。ふと、そんな言葉が心に浮かびました。……一幅の洋画を観るような光景でございます。
秋灯かぞへてゐしは何の数 鷹羽 狩行
誰もいません。ただの独りの部屋です。それも日本間です。もの音一つしません。静寂そのものです。秋の灯(ともしび)のもと、ひとり心に数えているのは何の数なのでしょう。すでにこの世にいない友の数でしょうか。別れた懐かしいひとたちでしょうが。それともこれくらいまでは生きていたいと希う歳(とし)の数でしょうか……。なにがなし胸にしみるものを感じます。
湯豆腐に酒にがき夜もありにけり 片山鶏頭子
酒は天下の美禄。百楽の長……。でもいくら大好きなお酒でも、これもまた好物の湯豆腐でも<憂いの玉箒>にはならず、ただ苦く感ずるばかりの夜もあることでしょう。きっと、心の蟠(わだかま)る黒いもの、心に突き刺ったままとれない。なにか厭なことがあったのでしょう……。
草の実をしごきてすでに父母はなし 中里 風郎
少年時代にも、この時季、野原に出て草の実をしごいては遊んでいました。あの頃はまだ父も母も若く健在でした。いまもまだ野に出て草の実をしごいています。そして、遠い遠い少年の日を想い出しています。 すでにして父も母も遠くへ旅立ち、幽明境(さかい)を異(こと)にしています。ああ、遥かなり歳月!! ああ茫々たるかな歳月!!と、心の中をさびしい風がきっと吹き抜けていくことでしょう……。
先日お隣から「モクゲンジ」の小枝をいただきました。。熟した実は数珠になるそうで。
庭がない我が家。なにもお返しするものがないので、お隣の周りの落ち葉をせっせと掃きました。
吐く息が少し白くなってきたようです。
義理立てるように夫(つま)より風邪もらひ 北川かずを
<つま>というのは<夫>という字です。「なんだい、さっきから洟(はな)ばっかりかいでるじゃないか!?……風邪を引いたな……きっとわたしのが感染(うつ)ったんだな、わるいことしたな…、ごめんよ……」「ごめん……、だなんて、あなた。あたしに謝ることなんかありませんよ。あなたはもう癒ったんでしょ!?あたしはこうみえても義理堅い女房なんですから、あなたの風邪をわたしが貰って、あなたに早くせいせいした気分になっていただきたかったのよ。……いい女房でしょ!?」「おいおい、なんだか恩に着せられてるみたいだな!?」
菊日和なにかにつけて襟直す 檜 紀代
よく晴れています。菊の花の展覧会、菊花展にでもお出かけになったのでしょうか、ひとりの美しい中年の和服の婦人。丹精こめられて見事に咲き競っている菊の花を、ひとつひとつ丁寧にいつくしむようにご覧になって、白く細く長い指は、しきりに襟元の辺りでまこと美しく動きます。香水の甘やかな匂いも風に漂い、撫で肩の、粋で謙虚で美しい女人に、当マイクロホンの貧しい想像力が、それでも羽をはやして飛んでゆきます。
柿熟るる思ひおもいひに己れ染め 柴田 輝
「柿の実がたわわだねぇ!!柿の実というのは、夕陽に照らし出されているのがいちばんよく似合うなぁ。みんな同じ色に見えるが、夫々に、そこしづつみんな形も異(ちが)えば色も異う、そこがいんだなぁ。人間だってそうだねぇ。世の中、自分に合う人ばかりはいない。みんな夫々に<個性>というものがある。お互いにその<個性>を大事にしながら生きていくしかないんだな。要するに相手の短所には目をつぶり、長所にだけ目を向けていれば波風はなくてすむんだよね……。ま、……仲々むづかしいことだがな……」
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