虫干や襟より父の爪楊枝 川端茅舎
大きな部屋いっぱいに虫干しをしました。ほとんど和服です。亡くなったお父さん着道楽贅沢な和服をいっぱい持っていました。一枚々々の和服に、一つ一つの忘れがたい思い出があります。その思い出を懐かしんでいると、ある一枚の和服の襟に爪楊枝が入っていました。<あら、お父さんたら……>と、小さな声を出し、まるで生きている人にでも話しかけるようにして、胸を熱くしているのでしょう。うっすらと涙がうかんだのかも知れません。
傍らに母ふるさとの昼寝覚め 嶋田麻紀
他家(よそ)に嫁いでいる若い婦人が久々に実家に里帰りしました。暑い夏の盛りです。あの話、この話に母と娘(こ)の会話は尽きることがありません。で、二人ともいささか疲れました。会話あと西瓜も食べました。お母さんは昼寝がしたくなりました。一時間ほども経って、「ああ、あたし寝ちゃったわ」と目を覚ましました。「お母さん、健康そうな寝息をたててよく眠ってたわよ」と娘。母と娘(こ)は顔を合わせてにっこり笑います。静かな静かな倖せです。
片蔭に入りて女の歩に戻る 福井離村
炎天下を歩いている女のひと。燃えるような暑さに汗びっしょりです。男のようなスタスタとした歩き方なのでしょう。道は木々が鬱蒼と繁っている木陰に入りました。さきほどとはうって変わって、嘘のような涼しさ……。男のように歩いていたその足どりは、女の方本来の、小さい足どりに変わった、というのでしょう。女の歩(ほ)に戻る女心がいとおしく思われます。
白玉やをんなこどもと云はれゐつ 山田みづえ
「ねぇあなた、この白玉おいしいのよ。だいいち真白で見た目が涼しいし、いかにも食欲誘うような感じでしょ!?〝おれは甘、辛両刀使いはしないんだ、それが男の操だ〟なんて偉そうなこと言わないで、たまにはこういうものを召し上がってみたらいかが!?」 「いや、やっぱりやめてとこう。折角の好意を対して申し訳ないが、わたしに言わせれば、白玉はやはり女、子供の食べ物だよ。酒は憂い玉箒、酒は天下の美禄……と言うだろう。強情なようだが、わたしはやはり一刀流でいくよ!!」
梅雨寒の昼風呂ながき夫人かな 日野草城
「梅雨って厭ですねぇ。むしむしする日があるかと思えば今日みたいにまるで春先のように寒かったりして……。あたしなんだか鬱陶しくてやりきれないので、昼間からお風呂に入りましたの。それも長々とお湯につかってぼんやりといろんなことを考えておりましたの…。どう、あなた、あたしが先に入ってしまって申し訳ないんですけど、あなたもお風呂、お召しになったらいかがですか。いいお湯加減ですよ……」
洗ひ髪結ふ間なくして人に逢ふ 下村 梅子
「ごめんなさいね、お待たせしちゃって……。気が滅入って仕方がないので、今髪を洗っていましたの。すこしせいせいするかと思って……。そこへ貴女が来てくださったでしょ。……あたし嬉しくて。こんなざんばら髪でごめんなさいね。いま、おいしいお茶を入れますわ。戴き物ですけど、おいしい羊羹もあるのよ。召し上がってね。こんな髪やめて、美容院に行って、いっそ短くしちゃえばいいんでしょうけど、なにしろ明治女だから髪はいのち、なんて思うところがあってねぇ……」
草笛やなく母の顔、子にふしぎ 伊藤みちこ
「これはね草笛といって、いい音がするんだよ。おかあちゃん、やってみようか!?……ほら、いい音がしたでしょ、一郎もやってみるかい!?唇を切らないように注意してね」「ねぇ、おかあちゃん、どうしたの? どうして泣いてるの?おかあちゃんが泣いちゃ、僕厭だよ。僕も泣きたくなっちゃうもん……」「ごめんね、一郎。……一郎が大きくなったらきっとわかるよ。でもねぇ、男と女っていうのは、どうしようもないもんでねぇ……。人間には男と女しかいないのに、うまくいかないのよね……。さあ、おかあちゃん、もう一度草笛吹いてみようかな……」
むし暑し是非ネクタイを取り給へ 高木 明子
「よく来てくださいましたね、遠いところをわざわざ……、本当に嬉しうございますわ。……お逢いしなくなってからもう何年になりますでしょうか、お宅の皆様、お変わりなくお元気ですか?……そう、それはなによりでございます。お子さんももう大きくなって……えッ、もう大学生……。月日の経つのは早うございますね。……あら、あなた額に汗、さッ、早くネクタイをおはずしになって!!いえ、そんな遠慮はなさらずに……。お互い小学校時代の同級生じゃありませんか!?なんですか蒸しますね、いまからこうじゃあ、夏の暑さが思いやられますわ。今冷たいお飲み物をおもちしますので……」
白玉のややいびつなる親しさよ 轡田 進
糯米を寒晒しにしてつくった白玉粉を水で練り、まるめて小さい玉にし、茹でたお団子が白玉でございますよね。当マイクロホンは甘党ではありませんが、これはおいしいものだと思います。「白玉かね、すべすべした肌が可愛らしいねぇ。いかにも食欲をそそる色だな。大きいのや、小さいのや、凸凹しているのや、いびつなのや、色々あるな。いやいや皮肉を言ってるんじゃないよ。そこがあなた、素人っぽくて、なんとも捨てがたい趣」だと言ってるんだよ。冷やした善哉に似いれて、さッ戴こうか!?」
一しきり旅の話や水羊羹 野村 蝶子
「あたくしね、先日みちのくを旅してきたのよ、よかったわ……。四国や九州へは行ったことあるんですけど、東北ははじめてだったの。青森県を中心に、あちこち行ったんですけどね。桜はもう終わってましたけど、藤の花が綺麗でね……。青森も弘前も八戸も十和田も、みんなよかったわ……。いかがこの水羊羹、おいしいわよ。ううん、これは青森のお土産じゃないんだけどね。あのね、列車の中でお友達もできて、その方と文通するようになったのよ。旅っていうのはいいものねぇ……。……遠慮なさらずに、この水羊羹、召し上がって!?」
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