春暁の湯気を豊かに炊飯器 秋沢 猛
文明の進歩は止まるところを知らず、世の中、どこまで便利になっていったら気が済むのか……といった感じです。しかし、その便利さによって生み出される余剰の時間を、精神の分野に、適切に活用しているかということになると、残念ながらこれは著しく疑問なところです。
冷蔵庫、洗濯機、そしてこの句にも登場している炊飯器などは、いまではもう当然すぎるほどの生活の道具になっていますが、これらが出現する以前(まえ)と後では革命的な違いがあります。
まだ白じら明けの時刻。作者はご不浄にでも立ったのでしょうか……。用を済ませてふと見ると、居間か台所かは分りませんが、そのどちらかの片隅にある炊飯器が盛んに湯気を噴き、ご飯が炊き上がる景気のよい音がしているのを、目と耳に入れたのです。
それは強烈な感動とまでは言えないにしても、<ああ、今日もかくして始まるな……、意欲に満ちて働かねば……>といったしみじみとした想いを、作者に与えたことだけは間違いありません。庭では早起きな小鳥たちが、お早うお早うと啼いているかもしれません。今日もまたいいお天気になりそうです。
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