梅の村駅には紙の梅咲かせ 山片 孝子
梅ほど、昔から詩歌の道に詠われている花はありません。それは春もまだ浅い時に、さまざまの花花に先がけて上品に、清楚可憐に咲くからであり、遠い万葉の時代にも風雅の心を培った……と、物の本は説明しています。
その梅の名所は全国に沢山ありますが、この句の舞台は、そうした有名著名なところではなく、観梅、つまり見る梅見に来る行楽のお客さんの数も決して多くない、それでも近隣ではちょっと名の知れた梅の村です。その小さな駅には、本物の梅ではなく、巧みに紙で作った人工の梅が宣伝用に飾られ、まだ冷たい風に揺れているのでありましょう……。
それは村役場の観光課の職員たちか、あるいは村の商店会の人々が、一人でも多くのお客さんを迎えたいものと、時間をかけて作ったのかもしれません。
小さな駅のホームには、老いた猫が日溜まりを選んで、目を細めて気持よさそうにうずくまっていることでしょう……。姿は見えず、雲間から鈍い飛行機の爆音が聞こえているかもしれません。
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