あじさゐの雨を寒がる女かな 野村 喜舟
「よく降る雨だな。でも慎ましい雨の降り方だねえ。それほど強くもなく……、かといってそう弱くもなく、水が好きな紫陽花を濡らす雨の勢いとしては、実に願ったり叶ったり……というか、いい降り方だ。ねえそうしたんだね、蒼い顔をして、寒いのか?寒いんなら早く何か着なさい。風邪を引いたら大変だよ。紫陽花に雨か……、あたしにお前か……。世の中、いろんなことがある……。なんにもしてやれないが、あたしの傍から離れないでほしいよ!!」
入学や草履ぶくろの花模様 久保田万太郎
お婆ちゃんがお孫さんに言いました。「みち子ちゃん、学校愉しいかい!?……そう、愉しいの、よかったねえ。担任の田中先生はどう!?……、とっても優しいの……よかったねぇ。お友達はできた?……そう三人も仲良しができたの……。みち子ちゃんはいい子だからみんなに可愛がられるんだねぇ。お婆ちゃん、嬉しいよォ……。いい草履袋だね、お花の模様がついててね。みち子ちゃんにとってもよく似合うよ……。先生がおっしゃることをよく聞いて、お勉強するんですよ。いいわねえ!! ね、いい子さもんね!!」
水うまし春眠さらにつがんとす 大竹キミ江
いい夢をみていました。そして、一度は醒めました。咽喉が渇いています。枕元に置いてある水差しの水をグラスに注いで一気に飲み干し、<ああ、おいしいッ>と思わず声に出し、さて心のうちで呟きます。<思い切って起きちゃおうかしら。それとももうすこし寝ようかしら……。そうだわ、たまにはいいわ。もうすこし寝ましょう!!外は雨のようだし。いいわ、もう少し寝ましょう……きーめた!!>
病む妻の白湯さましをり梅の昼 家木草平
「どうしたの、起き上がったりして、咽喉がかわいたのか?そう言ってくれりゃいいじゃないか!?君は病気なんだ。病気の時くらい遠慮は要らないんだよ。ジュースは厭なのか……お茶……、お茶も厭なのか……。ただのお湯が飲みたいのか……。よし、俺がさましてやるからね。フー、フー、フー……。もうちょっと待ちなよ。見てごらん、庭の紅梅が綺麗だろう!?もう峠はとっくに過ぎたのに、まだあんなに綺麗だ……。……なあ、ゆっくり養生して元気になってくれよ、いいな!?……なんだい、涙ぐんだりして……」
地吹雪の矢面に立ち辻仏 加藤渓谷
積もった雪を捲き上げて吹く冷たく強い風……。北国はまだひっそり雪の中、春は遠いことでしょう。空漠として拡がる白一色の雪野原の辻に、これもすっぽりと雪に埋もれて、石の仏様が立っています。人々は赤々と燃えるストーヴ、家の中で生活しているのに、石の仏様は地吹雪の矢面に立って、さむともつらいとも、早く春になってほしいなぁ、ともおっしゃらずに、慈悲を湛えたお顔をいつものままに、その村全体の人々の朝夕の暮しを優しく見守ってくださるかのようです。餌をもとめて鴉が啼いているかもしれません。洟(はなみず)を手でこすって、年老った村人のひとりが仏様の前を通りかかり、お頭やお顔の雪を丁寧に払ったかもしれません。
木魚にもあるうすら禿春浅し 服部海童
お寺さんです。永の歳月、朝晩の読経のたびに叩かれる木魚は、叩かれる場處が一定しているので、その部分だけが塗りが薄くなり、禿のようになっています。叩くお坊さんも剃髪のお頭(つむり)とはいえ、禿げている處はとくに光っています。お寺の本堂ですから火の気はありません、寒いのです。「まかはんにゃ、はーらーみーたー、しんぎょう……」心を籠めてお経をあげてはいても、お坊さんの痩せた背中に寒さは貼りついています。鳥が啼き、花が咲き、人々の顔におっとりとした笑顔が浮かぶ本格的な春はまだ訪れていません。暖かくなれば禿げた木魚も春を讃えるかのように、もっといい音を出すかもしれません。
針供養豆腐いかなる悪事せし 宋 岳人
お針の仕事をする人たちが、一年間に使った古い、或は折れた針を神社に納め、お豆腐に刺して供養し、お裁縫の上達を祈るのが針供養でございますね。白く柔かく、安くて栄養があって、いいことづくめのお豆腐……。お豆腐は何のわるいこともしていないのに、この日ばかりは痛い想いをしなければなりません。日本に生まれてきたことのありがたさを、大袈裟に言えば、お豆腐があるが故に、とすら思っている当マイクロフォンは、この句のようにお豆腐が可哀想でなりません。でも、でも何も悪いことをしないのに、すこしも倖せになれないでいるひとも世の中には多くいるようで……、哀しいことです。
風邪の子に折り折り紙の数足らず 寺門八重子
女の子のでしょう……、風邪を引いて臥せっています。いつまでも微熱がさがらず、子供は調子が悪いので不機嫌です。「ねぇママ、もっと折紙折ってよお、ねえ早く!!」「ママ、ずいぶん折ったわよ。こんなに沢山、あなたの枕元に並べてあるじゃない!?」「折ってって言ったら折ってよ!!」「はいはい。……でもねぇ、折紙が無くなっちゃたのよ。あとで、夜の御飯のお買物に行くから、そのとき折紙も買ってくるからね!?」「いや、今じゃなくちゃいや!!」ママはわが子の顔を見て、切ない溜息を洩らしたのかも知れません。
貧富の差なくどかどかと雪積もる 守屋霜甫
豪雪地帯です。くる日もくる日もどかどかと大量の雪が降り。それが積もり、積もった雪にまた新しい雪。降ることが一筋のいのちと言わんばかりに、雪また雪……。太郎の屋根にも次郎の屋根にも小休みなく、振り積もる雪。富める人の家にも……。貧しい人の家にも……。不公平なく不平等なく……。天は黙々と白いものを降らせるのです。
花束を膝に置くごと冬日差し 山仲英子
冬にしては珍しく暖かい日です。<あら、今日は春みたいだわ。こういう陽気だと助かるわ……>そう思う心は浮き浮きするほどです。浮き浮きするというより、美しいこと、美しいものに寄せる憧れに似た心持です。<そうだわ……>と気づきました。<まるで色とりどりの花束を膝に置いているような気分だわ!!><〝花束を膝に置いている〟……あら、われながらいい表現じゃないの……>と、自らをちょっぴり讃めて、暖かい陽射しに目を細めているのかも知れません。
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