木魚にもあるうすら禿春浅し 服部海童
お寺さんです。
永の歳月、朝晩の読経のたびに叩かれる木魚は、叩かれる場處が一定しているので、その部分だけが塗りが薄くなり、禿のようになっています。
叩くお坊さんも剃髪のお頭(つむり)とはいえ、禿げている處はとくに光っています。
お寺の本堂ですから火の気はありません、寒いのです。
「まかはんにゃ、はーらーみーたー、しんぎょう……」
心を籠めてお経をあげてはいても、お坊さんの痩せた背中に寒さは貼りついています。
鳥が啼き、花が咲き、人々の顔におっとりとした笑顔が浮かぶ本格的な春はまだ訪れていません。
暖かくなれば禿げた木魚も春を讃えるかのように、もっといい音を出すかもしれません。
コメント