マフラーの匂いの中にゐて悲し 小泉 貞女
夫に先立たれた老婦人でありましょう……。いま首に巻いているマフラーは女物ではなく、夫がこの世に在りし日、長の歳月愛用していたものと思われます。
地味な色合いであり、年齢からいっても、他人がそれを男物と見まがう心配はありません。よしんば、なんと言われようとそんなことは痛くも痒くもありません。
すっかり古くなっていてもう本当は捨ててもいいのですが、それをするに忍びないのです。このマフラーに残っている夫の匂いのなかに、顔を埋めていたいからです。この匂いに、愛情綾なす夫婦の何十年かがありました。でもいまは憎は跡方もなく消えて、愛だけがあります。その愛の虚しさと悲しさがあるばかりです。
憂き世の冷たい木枯らしから身を守ってくれるのは、このマフラーです。マフラーにかすかに残る夫の匂いと愛の想い出です。おそらくは、買い物か何かで黄昏の道を行く老婦人の後ろ姿の、なんと淋しげなことでしょう……。
コメント